基地問題は住民投票に馴染むか。

「みんなで決める」難しさ 辺野古沖縄県民投票:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/DA3S13903954.htm

 

高久潤記者は本当に勉強になるいい記事を書きますね。

 

吉田徹・北海道大教授(比較政治)は、

「代表制が機能不全に陥り、県民に丸投げする形に至ってしまった」

 しかし、賛成/反対という選択肢になりがちな直接投票には争点が単純化する危険が伴う。国民投票で結果が出た後も、EU離脱の条件をめぐって混乱する英国は象徴的な事例だ。吉田さんは「沖縄も、投票後の政権側との落としどころが見えていない中では、かえって政治不信と世論の分断を深めかねない」と危惧する。

(一部略)

政治思想史が専門の宇野重規・東京大教授は、

 参考になるのは民主主義のモデルとして後世から参照される紀元前5世紀のギリシャのポリス・アテネだという。

 当時の最高意思決定機関・民会では、数万人の市民が集まり、専門家の意見を聞きながら、演説や議論を通じて最後は拍手や喝采で決めていった。

 「よい決定=民主的な決定、かどうかは、参加している人が『みんなで決めた』という感覚をつくれたかどうかで決まっていた」ため、投票ではなかったという。

 合意形成に失敗すると最初からやり直しに。法案はゼロから作り直された。市民の民会での発言は細かく記録に残され、矛盾や虚偽は批判にさらされる。言葉と感覚のみでつくられ、支えられることが「民主主義」の根幹だったとみる。

 「民主主義の本質は誰もが平等な存在として扱われているという感覚。どちらかが負け、と白黒つける直接投票は『決めてしまいたい』という欲望の表れでしかなく、問題の解決手段にならない。なぜ直接投票しなければならなくなったのか。沖縄でも英国でもその問いを考えるべきだ」

 (一部略)

政治には二つの側面があって、「決定」する政治と、そこに至るまでの「プロセス」の政治がある。 私たちは迅速に結果の出やすい「決定」の政治に目を奪われがちだが、そこに至るまでの「プロセス」も合わせて重要だ。みなに投票権があったとしても、短兵急な決定は単純に勝者側と敗者側を区分けし、亀裂を深めてしまいうる。もちろん「決定」のもたらす帰結を軽視して良いということではないし、「決定」をいたずらに引き伸ばせば良いというものでもない。

本来であれば、代議制民主主義のもと、選良達がより多くの人が合意する政策案に向けて合意形成を図るべきであったのかもしれない。しかし、国会での審議は形骸化し、代議制民主主義の最も重要な側面である「プロセス」の政治が軽んじられたからこそ、ある種「決定」を突きつける、こうした住民投票に至ったのではないか。(吉田さんに近い見方。)

一方、主に国政が担う外交・安全保障は効率的・一元的な決定が求められ、主に地方自治が担う生活・教育・福祉は開放的・多様な民意の合意が求めれる、とするならば、それが住民投票に馴染む政策か否かという視点もあるだろう。もちろん、その厳密な区分けも難しいだろう。外交・安全保障に関わるとはいえ、辺野古基地問題が、迅速な決定が求められる政策課題なのかどうかも留意しなくてはいけない。

 

とはいえ、今回の住民投票の結果は拘束力がない。まだ「決定」ではないのである。ということは、これを一つの材料として代議制民主主義における「プロセス」の政治に再び持ち込むことができる。あとは選良達の腕の見せ所なのかもしれない。

 

デモクラシーの政治学

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